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朝青龍(相撲・横綱)

朝青龍 明徳(あさしょうりゅう あきのり、昭和55年(1980年)9月27日 - )は、モンゴル国ウランバートル市出身の力士で、第68代横綱。本名Долгорсүрэнгийн Дагвадорж(Dolgorsuren Dagvadorj;ドルゴルスレン・ダグワドルジ)。高砂部屋(入門時は若松部屋)所属。愛称はドルジ。身長184cm、体重148kg。

得意技は左四つ、寄り、突っ張り、星座は天秤座、血液型はO型、趣味は音楽鑑賞。特技は乗馬。

次兄のドルゴルスレン・スミヤバザルはブフ(モンゴル相撲)のアヴァルガ(モンゴル横綱)、三兄のセルジブデはリングネーム「ブルー・ウルフ」のプロレスラー(新日本プロレスに所属していた)。


【来歴】
■相撲勘が非常に良く、相手に応じて寄り、投げ、突き押し、足技などを繰り出す。足腰が強靱。

■1995年、15歳のとき、ブフ(モンゴル相撲)を始め、ナーダムの相撲少年の部で優勝した。

■1997年に朝赤龍とともに日本の明徳義塾高校に相撲留学し、2年後に退学して角界に入門した(後に卒業が認められた)。

■2001年に新入幕し、翌年9月にモンゴル出身の力士として初めて大関に昇進し、同年11月場所、翌年1月場所に連続優勝して場所後に第68代横綱に昇進。

■2003年11月場所に第67代横綱武蔵丸が引退した翌年の3月場所から2007年7月場所に白鵬が第69代横綱に昇進する前の5月場所までの約3年半(21場所)の間、朝青龍は一人横綱を務めた。これは史上最長の期間である。

■2004年1月場所・3月場所で、2場所連続全勝優勝(30連勝)を果たした。5月場所は、今まで実績のあまりなかった北勝力の大活躍で苦しい展開であったが、優勝決定戦で下して優勝。7月場所も13勝2敗で優勝。1996年の貴乃花以来である、4場所連続優勝。

■2005年11月場所では、2004年11月場所からの7場所連続優勝(従来は大鵬が2度記録した6場所連続優勝)、2005年の年6場所全制覇(従来は
1966年の大鵬、1978年の北の湖、1986年の千代の富士の年5場所)、年間成績84勝6敗(従来は1978年の北の湖の82勝8敗)と、3つの記録を更新した。

■2006年1月場所14日目、自身は新大関琴欧州に勝ち11勝3敗としたものの、この日同じく勝った大関栃東が13勝とし星2つの差となったため、この時点で優勝が消滅、自身が持つ連覇記録は7で止まった。

■2007年1月場所において、14日目に大関栃東をつり出しで下し、20度目の幕内最高優勝を果たし、大鵬、北の湖、千代の富士、貴乃花に続く大台に到達した。また、20回以上の優勝は外国人力士では初の快挙となった。

■翌3月場所は初日時天空、2日目雅山に連敗を喫した。初日からの2連敗は小結だった2001年7月以来であり、横綱昇進後初めての出来事である。しかしその後はその連敗を忘れさせるように連勝し、14日目にはそれまで1敗で優勝争いのトップに立っていた白鵬に勝ち、自らも優勝争いのトップに立った。両者は千秋楽の優勝決定戦で再び戦ったが、この時は白鵬のはたき込みに敗れ、優勝を逃した。

■2007年5月場所においては、12日目の千代大海戦、13日目の魁皇戦で自身2度目の連敗を喫し、この時点で3敗に後退。2002年11月場所の初優勝以来初めて2場所連続で優勝を逃した。さらに、14日目には琴欧洲にもあっけなく上手を取られて投げつけられた。千秋楽には白鵬相手に大相撲を取るも敗れ、大関戦4連敗を喫した。4連敗は、9勝6敗に終わった2004年9月以来2度目。対大関3連敗及び4連敗に限れば、横綱昇進以来初めての事である。


【旭鷲山との因縁】
2003年5月場所、同郷の先輩力士の旭鷲山との対戦で土俵際で逆転負けした時、土俵上で物言いを要求する態度を見せて物議を醸した。

2003年7月場所、旭鷲山との対戦でマゲを掴み反則負けとなる。取組後の風呂場で両者は激しい口論となり、そこに居合わせた大関魁皇が割って入り止めたという。怒りが収まらない朝青龍は、旭鷲山の車のサイドミラーを壊して弁償する騒動にまで発展した。力士の乗る車のドアミラーを損傷させるなど横綱にあるまじき行動だと日本相撲協会や横綱審議委員会から苦言を呈された。

なお、現在は和解していると報道されている。


【八百長疑惑】
2007年1月22日発売の週刊現代(講談社)に「横綱 朝青龍の八百長を告発する!」と題された記事が掲載されることが明らかになった。朝青龍が全勝した昨年九州場所を検証し、15番中ガチンコ(真剣勝負)が4番と指摘しているもの。[2]

記事に関し、北の湖理事長(元横綱)は「まだ何も分からない。コメントできないよ」と困惑の様子。朝青龍の師匠・高砂広報部長(元大関・朝潮)も「答えようがない。そういうことはないと思っている」と疑惑を否定した。また記事中で仲介役とされる旭天山の師匠・大島親方(元大関・旭國)は「誤解を招くようなことはすべきでない」と激怒し、旭天山を直接注意した。[3]

なお、朝青龍自身も八百長疑惑を全面的に否定しており、悪役扱いに既に慣れている朝青龍も今回ばかりは「強くなるのがそんなに悪いことなのかよ〜」と、ぷんぷん怒っていた様子であったと言う。1月30日には日本相撲協会に事情を説明したあと報道陣に「せっかく20回目の優勝をしたのに、あんなことを書かれて、つらかった。悲しすぎる」と語り、場合によっては訴訟を起こす可能性も示したが、日本相撲協会は朝青龍を相撲に専念させるためにも、朝青龍自身が法的措置を取ることを回避させ、日本相撲協会が講談社と記事を書いた人間を相手に告訴することを決定した。


【取り口】
■立ち合いに鋭く突っ込んで先手を奪い、常に先に技を出して相手に相撲を取らせないのが必勝パターンである。しかし、2006年以降は立ち合いがやや鈍り、後手に回る相撲も見られるようになっている。

■根は左四つだが、右四つでも充分力を発揮する。投げは左右共に強く、上手投げ、下手投げ、すくい投げに小手投げとなんでもこなす。特に右からの投げは切れ味抜群で、廻しの引き付けも強いとされる。また、突っ張りもあり、足技も得意。守れば強靭な足腰を持つオールラウンダー型である。

■もともともろ差しを得意の形としていた。だがそれはどの力士にとっても優位な形であると言えるので、彼の得意な形とは称しにくい。ただもろ差しを果たすスピード、巻き替えの速さは大きな特徴。ただ昔に比べると「朝青龍にもろ差しをされたら一巻の終わりだ」と他の力士の警戒も高まり、最近ではもろ差しを果たして勝つことはほとんどない。朝青龍ももろ差しに以前ほどこだわってはいない。

■元大関・栃東とは対戦成績が拮抗していて、通算成績は朝青龍の15勝10敗だったが、一時は栃東が朝青龍に勝ち越していたこともあった。

■逆に、琴光喜、魁皇、千代大海、琴欧洲、雅山には相性がいい。特に琴光喜とは大関昇進を争った仲で、昔は琴光喜が6勝3敗と勝っていたが、その後朝青龍が26連勝して現在は29勝6敗と大きく水をあけている。魁皇には2004年11月場所に敗れ、9勝9敗と相性がやや悪かったが、その後8連勝した。雅山にも2007年1月場所まで13連勝するなど26勝3敗と手玉に取っている。しかし、魁皇には2007年5月場所、雅山には2007年3月場所に敗れており、連勝は止まったが、対戦成績は依然朝青龍がリードしている。

■朝青龍の負け取組の決まり手は、寄り倒しや押し倒しによる負けがかなり多く占めている。その一方で寄り切りなどの負けは少なく、彼の下半身が強靭である事を裏付ける説でもある。

■土俵入りにおいては足の動きに特徴があり、NHKの大相撲放送でも度々、砂を噛むように動く足が映される。

■気合満点の表情で仕切るにも関わらず、いざ相撲が始まると極めて冷静に、計算高く事を運ぶ。研究心が旺盛で、相手十分の体勢には滅多にさせず、勝利に拘った相撲を取る。しかし、自分の計算どおりに進まなかった場合、顔を張られた場合など朝青龍にとって不慮の事態が起こった場合には、カッとなって下半身もおろそかに強引な張り手を連発する悪癖もある。

■2004年9月場所、2007年5月場所のように、優勝の可能性がなくなると力を抜く傾向がある。


【その他】
■朝青龍という四股名は、出身校である明徳義塾高等学校の近くにある四国霊場36番札所青龍寺にちなみ、下の明徳の名は同校にちなんで名づけられた。

■高校時代は「ダシバドリ」とも表記された。

■明徳義塾高校を2年で退学しているため、当初は中退扱いであったが、文部科学省の規定でモンゴルの高校での単位が認められたため、卒業が認められ、2003年9月24日に卒業証書を受け取った。

■2003年に結婚。またこの年、長女が誕生。2004年8月には故郷モンゴルで披露宴を挙行したが、同月日本でも日本式で盛大に行われ、テレビ中継も行われた。

■貴乃花との対戦は、貴乃花の怪我による長期休場のためわずか2回しかなく、朝青龍の2戦2敗に終わっている。朝青龍が新大関として臨み、最後の対戦となった2002年9月場所では、善戦するも敗れ、対戦終了後に花道を引き上げる際に「畜生!」と大きな声で叫んでしまい、その後に支度部屋で「(対戦で貴乃花の)怪我している足を蹴っ飛ばしておけばよかった」と発言し、非難を浴びるという出来事があった。

■2003年6月19日、麗澤大学へモンゴルからの留学生を受け入れるための「朝青龍奨学生制度」を発足。朝青龍の母校である明徳義塾高校校長の吉田圭一は、同学の出身。朝青龍は渡航費用を負担。

■2004年3月場所終了後の春巡業で、一門の枠を超え、モンゴル出身力士を集めて特別指導を実施した。この結果モンゴル出身力士の結束は深まり、白鵬、安馬らは部屋、一門が異なるにもかかわらず「援護射撃」を口にするようになった。また、安馬とは場所中に何度も夜の街へ繰り出す程の仲である。

■人気が上昇するにつれてテレビコマーシャルに出演することが多くなった。また祖国モンゴルでは2005年のモンゴル国大統領選挙に際して、同郷力士と共にナンバリーン・エンフバヤルを支持するテレビコマーシャルに出演した。

■2005年4月、明徳義塾高校へモンゴルの子供を留学させるための「朝青龍明徳教育基金」を設立。スポーツ留学に限らず、人選は朝青龍に一任されており、渡航費や生活費用等、年間約150万円を負担。

■2005年7月15日、高知県庁より、広末涼子と共に『高知県観光親善大使』に任命される。師匠である高砂と師弟二代で高知県の観光親善大使を務める。

■2005年12月8日、モンゴルのエンフバヤル大統領を表敬訪問した際に、モンゴルの英雄の名前を冠したスフバートル勲章が贈られた。

■横綱が平幕力士に金星を献上すると座布団が乱舞するのは、以前から良く見られたが、全盛期の朝青龍の場合は負けた相手が大関であっても座布団が飛ぶ。これは、朝青龍の強さが圧倒的であるためと思われる。

■高知新聞では、郷土出身力士として扱っている。

■2007年1月1日 元日放送のプロスポーツマンNo.1決定戦(TBS系列)のパワーバトル部門に出場。SPIN OFFで大関琴欧洲、THE-TAG OF WARで関脇琴光喜に惜しくも決勝で敗れるも、THE GALLON THROWで佐々木健介と共にNo.1にランクイン、得点で総合No.1となった。

■懸賞金を貰った後にカメラ目線で、カメラを睨む癖がある。仕切り前にも花道を睨むことがある。理由は、テレビを見ている妻への愛情をこめて目を向けているということもあるが、視聴者の中にはこの睨みを嫌う者もいる。


【朝青龍への批判】
■自分が勝ち続けている内は気分が良く取組直後の自分が負かした相手に手を貸したり、インタビューに穏便に答え舌先も滑らかであったが、自分が負けたりすると相手の手を強引にふりほどいたり気分で自分の態度が変わってしまう。

■かつては懸賞を受け取るとき左手で手刀を切るなど土俵上の礼儀・作法が問題になった。

■2003年10月、病気を理由に稽古総見を休むなどし、11月場所後に高砂親方に内緒でモンゴルに帰国をした。親方には風邪をひいたと説明していたが、帰国の翌日の日本のスポーツ誌にアントニオ猪木と握手している写真が掲載され、親方が驚いた。日本で大騒ぎになったが、猪木のパフォーマンスの一環である。このとき着物姿でなくスーツ姿であったことが横綱審議委員から問題視され、高砂親方も注意したい旨の発言を行う。しかしながら、現役力士は着物以外禁止という内規は特になく、高度成長時代には力士のスーツ姿が雑誌に掲載されていた程である。

■横綱としての実績が高くなるにつれ、次第に常に挑戦者と思って相撲を取る謙虚かつ油断のない姿勢や、本割で負けた相手には特に集中して稽古相手に指定するという負けず嫌いに立脚する向上心が、関係者に高く評価されるようにもなってきており、最近は横綱審議委員会から絶賛を受けるまでになっている。

■平成17年正月に放送された「志村・鶴瓶のお正月芸能人交流スペシャル」(テレ朝)にて、高砂部屋に来ていた外国人の子供達と稽古をして、その後、子供達とハイタッチを交わしていたが一番最後の太った子供だけはハイタッチせずに頭を叩いた。

■平成17年5月30日に亡くなった故・二子山親方(元大関:貴ノ花)の協会葬の時、ハワイに行って出席しなかった。

■2006年からは毎場所のように稽古不足が指摘されている。

■ムキになると過剰な押し出しなどをする。

■横綱昇進後は完全なヒール役となっており、週刊誌に「女性が嫌いなスポーツ選手」で堂々の1位に輝いたこともあった。これは旭鷲山戦で見せた醜態等彼の土俵態度が影響していると見られる。最近はやや丸くなり、横綱として十分な実績を残している事から、以前よりは嫌われなくなった。だからと言って人気力士の部類に入るわけでもなく、かつての北の湖と同じように負ければ館内は狂喜乱舞する。

■2006年11月場所8日目、前場所で敗れた稀勢の里に蹴手繰りを食らわせ、その場所で全勝優勝しながら場所後の横綱審議委員会で非難の声が続出。北の湖理事長も「横綱がやるような技じゃない」批判した。

■2007年5月場所、安美錦に負けて座布団を投げつけられたとき、花道で座布団に向かって蹴りを見舞った上、さらにテレビカメラに向かって怒りを露わにしてカメラ目線で吼えたシーンが全国に写された。


【出稽古に対する批判】
また、本割で負けた相手や力のある若手力士(モンゴル人を除く)を、その後の出稽古で対戦相手に指名し激しい稽古をしている。

標的となった力士は高見盛(右肩亜脱臼により医者から「完治しない」と診断される)、琴欧洲、稀勢の里、北勝力、千代白鵬、白乃波(稽古中に失神させられ古傷の首と膝を負傷)、琴奨菊(通常は5〜6番で済まされるぶつかり稽古を20回近く行う。稽古中うずくまっていた所を引き起こし、竹刀で尻を叩く。この後腰を痛めその場所負け越し)など多数。東関親方は高見盛が故障した際、高砂部屋への出稽古の中止を宣言した程だ。また横綱昇進前ではあるが武雄山も朝青龍との稽古で右膝を負傷している。

これらの力士に避けられると持病に腰痛を抱える兄弟子の元小結闘牙に対して吊り落としを見舞い、腰痛を悪化させた。彼は吊り落とされた直後の2004年11月場所2勝13敗と大敗し十両に陥落、翌2005年も腰の状態が思わしくなく不振が続いた(十両優勝した九州場所も腰の状態は万全には程遠かった)。さらに2006年1月場所を休場し(途中から出場して4勝)、翌3月場所も初日からの7連敗もあって僅か2勝13敗と振るわず、翌5月場所に西幕下5枚目に陥落し、5月5日に引退を表明した。


《2007年4月30日の出稽古》
さらに2007年4月30日、時津風部屋へ出げいこを行った際、新小結豊ノ島にプロレスまがいの技を仕掛け、右ひざと足首のじん帯損傷の怪我(全治2週間)を負わせた。その後、豊ノ島は5月場所に強行出場。朝青龍との取り組みが初日に組まれたが、このときは立会いすぐに豊ノ島が腰から落ち、朝青龍が勝っている。

この事態が起こった際日刊スポーツ紙上で納谷幸喜(元横綱大鵬)から「横綱の稽古というものが分かっているのか。相手を痛めつけ、恐怖感を与えるのは間違いだ。故意ではなくても、プロレスまがいの技でケガをさせるのは、もってのほかだ。稽古にもルールがあることを忘れないでほしい」と苦言を呈された。また豊ノ島の師匠時津風親方は「豊ノ島を強くしようという稽古じゃなく、壊してやろうという感じだった」「過去の横綱で壊すことをする人はいませんでした。情けない」と苦言。さらに「みんな来るのを嫌がるんじゃないですか」と各部屋で出稽古を拒否する動きに発展することを示唆した。さらに朝青龍の行動に対し日本相撲協会には抗議の電話が殺到した。

また朝青龍は豊ノ島に「残ろうとしすぎだよ」と言った一方、後日高砂親方に注意されると「向こうが力を抜くので、流れでそうなりました。気をつけます」と謝るなど、完全に矛盾する発言をしている。また報知新聞の記者には「何だ?なんだ?じゃあな!」と吠えたり、日刊スポーツ記者には「俺は先場所(八百長騒動で)いじめられたから、そのお返しをしたまでだ」と、稽古という名の八つ当たりを決行したと言ってもよい。

6日に時津風親方が、2日に9部屋からなる時津風一門(荒汐部屋・伊勢ノ海部屋・井筒部屋・鏡山部屋・式秀部屋・錣山部屋・時津風部屋・陸奥部屋・湊部屋)として伊勢ノ海親方が高砂部屋に朝青龍の稽古内容を改めるよう抗議したことを明らかにした。しかしながらこの時点では高砂親方・朝青龍自身から謝罪がなく、時津風親方はこのまま再び出稽古に来て「あの内容の稽古を繰り返せば帰ってくれと言う」と激怒していた。

高砂部屋に所属する現役最年長の序二段力士、一ノ矢充は自らが管理する高砂部屋公式サイト上の日記で「怪我は99%が自分の体の使い方の間違い、未熟さによるものである(中略)相手のせいではないのである。」としている。また、豊ノ島自身もブログ上で「稽古場での事故」としている。その後高砂親方からも謝罪があり、時津風親方は朝青龍が態度を改めれば問題視しないとし、今回の件は沈静化しつつある。


《出稽古の意義》
高見盛の故障時から前述の東関親方を始め一部の間で朝青龍の危険性は指摘されていた。しかし当時各スポーツ紙ではそのキャラクターから高見盛を揶揄するかのような報道がなされ、右肩亜脱臼という事実はそれから2ヵ月後に一部スポーツ紙で報じられたのみであった。豊ノ島の故障により、4年近くを経てその危険性が表面化したことになる。

出稽古で先場所に負けた相手ととことん申し合いをして痛めつけ、相手に恐怖心を与えるというのはある意味心理的な作戦であり、千代の富士(現九重親方)など歴代の名横綱が行っていることである。下位力士に横綱の強さを徹底的に刷り込むと共に若手力士の弱点を探るという効果がある。一方出稽古を受け入れる側には横綱のような強い力士と実戦的な稽古をできる利点がある。

ただ朝青龍の場合、精神面ばかりではなく、肉体的にも休場に追い込むほどの重傷を負わせており、結果的に取り組みとは無関係なところで後進の発展を阻む事態となっている。稽古相手の故障率の高さにおいて千代の富士らとは明らかに異なっており、豊ノ島の師匠である時津風親方は「朝青龍には、下の力士に稽古をつけてやる、という気持ちはない。若手を壊して恐怖感を与えることしか考えていないように見える。悪意に満ちた稽古だ。」と語っている。


【エピソード】
■幼少期から手のつけられない悪ガキだった。本人曰く「墨田区の番長のようなもの」*: (2007年1月7日日刊スポーツ、日曜日のヒーローにて)

■大相撲中継においては近年、「白崎義彦アナが実況すると、よく横綱朝青龍が敗れる」とファンの間で言われている。実際に白崎義彦アナウンサーがテレビ実況を担当した日に限ると、朝青龍が3連敗したこともあった。あの横綱の成績が白崎アナ実況時には通算で5割に近い勝率となっている。中には2004年5月場所で朝青龍の連勝記録が35でストップとなったテレビの実況も含まれている。

■明徳義塾高校時代、普天王、豊真将、白乃波と対戦しており、豊真将、白乃波には勝ったが普天王にはインターハイで敗れている。

■2004年5月場所は6日目(同年5月14日)に平幕の北勝力に敗れて連勝が止まり、最終的にこの場所は2敗となったが、千秋楽(5月23日)の
優勝決定戦で北勝力を破り、3場所連続優勝を達成した。優勝決定後、星1つの差で追っていた北勝力を本割で立ち合いの変化で破り「援護射撃」を果たした同じモンゴル出身の白鵬と握手し、部屋・一門を越えたモンゴル人同士の結びつきの強さを認識させた。

■優勝インタビューでは当意即妙な発言をすることで知られ、(風邪を引いた場所で)「白星が最高の薬」、(史上最高の懸賞が懸かった場所で)「ごっちゃんでした」、大阪で開催される3月場所では、千秋楽には「大阪、ありがとう!(2004年)」、「大阪の皆様、おおきに!(2005年)」、「まいど、大阪!(2006年)」と述べて、ファンを沸かせた。またインタビューの際に両手を挙げて一回転し観客の声援に応える光景はすっかりおなじみである。

■モンゴルに帰国中は強さを維持するために、いつもトレーニングを欠かさない。滞在中も毎日のようにジムに通う。一方の腕ずつ持ち上げるダンベルカールでは、トップボディービルダーでも難しいと言われる52.5kgを上げる。山崎泰央トレーナーが「反動もつけないで上げる。腕の力だけでなく体幹の力が強いんでしょう」と驚くほどのパワーを持っている。

■2005年3月場所の金色のまわしは話題になったが、13日目に大関・栃東に負けたことによって次の日14日目から黒のまわしに戻した。それについては本人曰く「金のまわしは伸びる」からだということ[5]。確かに栃東戦ではまわしが伸びていなければ勝っていたように解釈可能だが、取り直しの一番は完敗だった。(おっつけの強い相手と対戦するときに若干まわしをゆるめるのは武双山などがよく使った戦術でもある)

■2005年10月6日に、長男が誕生し、10月4日に渡米していたラスベガス巡業より帰国後、長男と初対面しての感想は「いいところの社長さんみたい」。

■高校野球強豪校の明徳義塾高等学校出身であるため、野球にも関心があり母校の応援を欠かさないのはもちろんのこと、ワールド・ベースボール・クラシックの準決勝・決勝を支度部屋でテレビ観戦し日本チームを応援していた。プロ野球は阪神タイガースの大ファン。

■2005年11月場所、朝青龍は前人未踏の七連覇、年間六場所制覇を達成した。この時横綱は涙を流しマスコミでは大記録達成の涙と報じられたが、後に横綱はそれを否定、「あの場所、地元福岡出身の大関魁皇を観客のほぼ全員が応援している中たった1人、自分を応援している1人のファンと偶然目が合い、そして勝った瞬間にまた目があった。その人が泣きながらすごく喜んでいるのを見て、思わず涙が出た」と語った。

■亀田興毅、細木数子、島田紳助、堀江貴文とも親交が深い。特に亀田との仲が良いらしく、2006年8月2日に行われた亀田の世界タイトルマッチ(詳細は亀田興毅のページを参照)の際には応援に駆けつけ、勝利を収め喜ぶ亀田を肩に乗せて祝福した。細木とも仲がよく、2005年11月場所では、細木のロールス・ロイスを借りて、それで場所入りした(過去に、輪島がリンカーン・コンチネンタルで場所入りしたことがあったが、ロールス・ロイスで場所入りする力士は史上初)。

■亀田以外でも格闘技の会場ではよく姿を見かける。引退したら格闘技界への進出も噂された。なお、兄2人が前述のとおり格闘家であることも噂の要因になりがちである。

■河島英五の「時代おくれ」を愛唱している。ORANGE RANGEの花もよく歌うらしい。

■2006年11月4日、広島県廿日市市宮島の大本山大聖院にて仏教行事に参加していたダライ・ラマ14世を九州場所前であったが訪問した。これはモンゴルがチベット仏教国であるためである。

■平成15年3月場所3日目に旭天鵬に敗れた後、腹癒せに大阪府立体育会館の空調設備を破壊した。

■リハビリの為モンゴルで合宿をしていた朝青龍は専属トレーナー山崎泰央と共にざんばら髪のポニーテールで成田空港降り立つ。協会より厳重注意(これと似た事件で、関取になりたての貴乃花が女性とデートしている所をフライデーに載せられ、師匠の二子山に「女と遊ぶなとは言わんが、力士らしい格好をしろ!」と大目玉を食らっている)。

■平成16年の7月場所後、高砂部屋で師匠の高砂親方と結婚披露宴の件で揉めた後に「朝潮のアホ〜!!」と暴言を吐き、大トラになった上に部屋の看板を足蹴りし、ドアを破壊しパトカーを呼ぶ騒ぎを起こす。この時、記者会見で泣きながら「もう、酒は飲みません」とコメント。

■琴欧洲には妙に嫉妬したような態度をとる事が多い。2006年1月場所前日、「あのヤローなんか目じゃねぇよ!俺は眠れる虎だ、見とけよ!」と暴言を吐いたり、琴欧洲のCM出演に「アイツばっか、何でCMに出るんだよ!アイツは大関で、俺は横綱なんだよ!」と激怒したりしている。しかし、琴欧洲が入門して間も無い頃は「日本語を覚えるにはカラオケに行ったらいい」とアドバイスをしている。

■彼が出演したCMは不思議と外れるジンクスがあり、2006年にNTTドコモのCMに出演した時は、2006年の携帯登録者数の首位と売り上げをauに初めて奪回された。また彼のCMは、すぐに打ち切り気味に見られなくなる特徴がある。

■2006年有馬記念のプレゼンターに登場する事が決まった際「私が好きな馬は風格があり、強さと気品があるディープインパクトです」とも言っている。

■稀勢の里に対して勝負がついたあとに膝蹴りを食らわし苦言を奏された。

■2007年5月場所千秋楽で白鵬に破れ彼の横綱昇進が確実になった際「土俵に上がったら、ただの人間になっちゃった」と、この日ばかりは弱気な発言もした。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070830-00000062-sph-spo

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朝青龍 血液型
Excerpt: 朝青龍(相撲・横綱)得意技は左四つ、寄り、突っ張り、星座は天秤座、血液型はO型、趣味は音楽鑑賞。特技は乗馬。 次兄のドルゴルスレン・スミヤバザルはブフ(モンゴル相撲)のアヴァルガ(モンゴル横綱)、三兄..
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Tracked: 2007-09-05 00:59

朝青龍 血液型
Excerpt: 朝青龍(相撲・横綱)得意技は左四つ、寄り、突っ張り、星座は天秤座、血液型はO型、趣味は音楽鑑賞。特技は乗馬。 次兄のドルゴルスレン・スミヤバザルはブフ(モンゴル相撲)のアヴァルガ(モンゴル横綱)、三兄..
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Excerpt: 関脇関脇(せきわけ、せきわき)は、大相撲において大関の下の階級。「大関」の「脇」をつとめる者、という意味が語源とされる。ちなみに、第2位の力士を〈脇〉というのは、平安時代の相撲節会にさかのぼる。江戸時..
Weblog: 大相撲情報局
Tracked: 2007-09-30 18:30


Excerpt: 小結小結(こむすび)とは、大相撲の番付の階級の一つ。関脇の下の地位で、三役の最下位。由来やその語源はわかっておらず、諸説があるにとどまる。通常前頭筆頭で勝ち越すか、幕内上位で大きく勝ち越せば昇進できる..
Weblog: 大相撲情報局
Tracked: 2008-02-11 17:56

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